小学校の宣言「知識は教えません、知識を使う力を養います」

子供の学校偵察。
学校は子供たちのための学校、いつでもオープン、いつでも見に来てください、という姿勢。
今日は私たちの子がいる3.4年生のクラス。ニュージーランドの3.4年で、日本の小学校でいうと2.3年生。
1時間半のクラスが午前中2クラス、午後1クラスあって、毎日だいたい読み、書き、算数の3つを勉強する。
他の教科はないの??って感じだけど臨機応変にやってるみたい。例えば社会、理科は読み書きの中にふくまれいる感じ、担任の先生が休みの時は代わりの先生が美術の先生だったりして絵をかいたりしてる。日本に比べればこの辺は適当。

さて今日この子たちが勉強しているのはargumentative essay、日本語で論争?ってところかな?えらいレベル高いな、と早速ビックリした。
6つあるトピックの中から好きなのを1つ選んで論争になるように作文を書く。もちろん最後のしめは自分の意見とその理由。これって大学生の論文レベルじゃない?って日本で30年ほど前に教育を受けた私としては小学2年、3年の子にそんなことできるの?すごいレベル高い〜!と疑った。 

先生が声をかけたグループごとに作文をもって先生に見せに行く。
見せに行ったところで先生が添削するのではなく、意味がわからない、わかりにくいところを指摘はするけど決して答えは教えてくれない。
大体みんなargumentative essayの意味は分かっていて、うまく作文に持っていってる。
生徒たちは作文をもっとよくするためにgoogleでしらべたり、本で調べたり、しまいには教室の外で刈込の仕事をしてる用務員さんに聞きに行ったり、なんとかして作文を完結させようと奔走する。え?教室の外に出てもいいの?とか、時間がもったいないから早く答えを教えてあげればいいのに、と思ってしまった。
でも同時に、はやさを求めてるんじゃないことも分かった。
考えることが大切ってこと。自力でなんとかする力をつける。きっと生きていく力に繋がるにちがいない。
1時間半の授業はほんとうにあっという間に終わってしまった。